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糖質制限ダイエット ー その光と影(4)

 

 

糖質制限ダイエットとEBM

 

■EBMとは

 

 

  EBMとは”Evidence-based Medicine”の略で、「根拠に基づく医療」と呼ばれています。1991年にカナダのMcMaster大学の臨床疫学者であるゴードン・ガイアット(Gordon Guyattが提唱。その後、急速に医学・医療界に浸透した概念です。

 

 EBMで重視している「根拠」は「科学的な根拠」で、実際に多数の人間で有効性や安全性を科学的に検証し現時点で「最良の根拠」を基に、「臨床家の専門性(熟練、技能など)」「患者の希望・価値観」を考え合わせて、より良い医療を目指そうとするものです。近年、この3つの要素に「個々の患者さんの状態や置かれている環境」が追加されました。

 

 膝の悪い肥満の糖尿病患者さんに運動療法を勧めても却って逆効果になるかもしれません。また、痩せる気がない糖尿病患者さんに一方的に食事療法を指導しても無意味でしょう。

 

 EBMが生まれる前の医療の根拠は、動物実験や病気の起こり方(病態・生理学)、薬の効く理由(薬理学)、臨床家の「知識」「経験」などが中心でした。理論的に効くはずの薬(治療)でも、実際は効かなかったとか副作用が出たとかする場合も多々ありました。臨床家が「これが良い」と自信を持っていても、それは患者さん全体からみると、一部の偏ったケースの経験によるものかもしれません。

 

 EBMは多くの人間を対象に行う医学研究(疫学)の成果を重視して、これまでの考え方とうまくバランスを取ることを目指しています。EBMは決して臨床家の経験に基づく判断を否定して、「根拠」となる研究論文だけを頼りにするものではありません。医療者として、「最善の根拠(一般論としての知識)」と「臨床家の専門性(熟練、技能など)」の両方を活用して、患者さんにとって最良と考えられる医療を進めることがEBMの目標です。

 

 今日、「患者の知る権利」や「インフォームド・コンセント」「インフォームド・チョイス」など医療に対する考え方が大きく様変わりしてきています。このなかで、EBMは医療を科学としてとらえた厳格な診療実践方法であり、全世界で急速に浸透しつつある手法です。

 

 ここではEBMの方法論ではなく、EBMの基本骨格の一つであるエビデンス(科学的根拠)からみた糖質制限ダイエットを考えてみたいと思います。エビデンスの質を見分けることは、糖質制限ダイエットだけでなく、巷に溢れる様々な「○○ダイエット」や「健康情報」を見極める手段となります。「信頼できる・お勧め」の情報は意外と少なく、「疑わしい」「無効」「有害」なものが多いようです。これらのネガティブな情報から身を守る手段としての食事・栄養のエビデンスとその質。やや難しい話ですがお付き合いいただければ幸いです。

 

 

バイアス

 

■バイアスとは

 

 

 臨床研究の結果を評価するうえでは誤差(error)の影響を考慮する必要があります。誤差には偶然誤差と系統誤差(バイアス)の2種類があります。

 

 偶然誤差(random error)は平均的には正しいが、測定ごとのバラツキにより生じるもので、対象者が本質的に持っているバラツキと測定時に発生するバラツキがあります。これは測定回数を増やすことで誤差を小さくすることができます。

 

 一方、系統誤差(systematic error)は何らかの原因で常に一定の方向に偏ってしまう誤差のことで、バイアス(bias)ともいわれます。系統誤差の裏には訳があるため、測定回数を増やしてもサンプルサイズを大きくしても回避することはできません。逆に、バイアスを帯びたまま統計的な有意差が出てしまい「間違ったエビデンス」となることがあります。エビデンスをみるとき、このバイアスの有無とその原因に注意する必要があります

 

 バイアスの代表は選択バイアス、情報バイアス、交絡バイアスです。他にも様々なバイアスがあります。

 

■選択バイアス

 

 研究対象者を決めるときに生じるバイアスが選択バイアス(selection bias)です。

  • 標本抽出バイアス
  • 大病院で行われた研究では、大病院に受診するという時点で患者さんの偏りがあります。大病院では重症例や難治例が多いため、研究結果を一般の患者さん全体に当てはめると問題になります。
  • 「街角で100人に聞きました」「インターネットでアンケート」など、もともと調査対象者の設定に偏りがある場合などで生じます。インターネット調査では、パソコンやスマホでインターネットを使える人で、その領域に関心がある人のみが対象になる傾向があります。回答率が低いと結果への信頼性は低くなります。また、調査者にとって好ましい結果となった調査は公表され、そうでないものは公表されないかもしれません。
  • 同意バイアス
  • 研究への参加に同意した患者さんと同意しなかった患者さんでは背景に違いがある可能性もあります。
  • 調査者(研究者)にとって好ましいと思われる行動をとる人は積極的に調査に参加し、反対意見を持つ人は参加をためらうことが予想されます。当然、調査側に都合のよい結果がでる可能性があります。
  • 脱落バイアス
  • 手術後の5年生存率を調べる研究で、担当者が知らないうちに死亡した症例、悪化して他院に転院した症例、経過が良好で通院しなくなった症例など、死亡例や重症例、軽症例が脱落して「調査打ち切り」例として扱われる場合などです。脱落症例を単純に除外して解析するとバイアスが生じます。
  • 「私は名医」と信じる医師も注意が必要です。自分の外来に来る患者さんは「先生のお陰です」と言ってくれます。しかし、よくならなかった患者さんは、ほとんどの場合何も言わずに転院しています。目に見えているのは「よくなった」患者さんという偏ったケースに過ぎません。

 

1)情報バイアス

 

 情報バイアス(information bias)は測定バイアス(measurement bias)ともいわれ情報を収集するときに生じます。

  • 観察者バイアス
  • 測定者により測定結果に差が生じる場合、観察者バイアス(observer bias)といいます。結果評価が高めか低めか、厳密かアバウトか、などの差異が生じます。
  • 治療効果を判定する医師が実際に行われた治療を知っていると、先入観により効果判定に影響がでてしまう可能性があります。例えば、皮膚所見や画像所見などのように判定者の主観が入る場合で問題となります。
  • 患者さんの自覚症状で効果判定をする場合、患者さんが実際に行われた治療内容を知っていると情報バイアスが発生する危険性があります。効果のない治療であっても何もしないより効果が得られる現象をプラセボ効果(placebo effect)といいます。医療を受けているという安心感や期待感が症状・体調を好転させると考えられています。後述のホーソン効果や自然経過が混じったもので、それらを合わせてプラセボ反応(placebo response)といいます。もちろん、実際の治療群(実薬治療群)でも同じ現象は起きています。

※)プラセボ(placebo):語源はラテン語で「私は喜ぶ」の意味。英語ではdummy、中国語は安慰剂と呼ばれる。

 

 

 

 

 

 

2)報告バイアス

 報告バイアス(reporting bias)は対象者が報告するときに発生します。

  • 思い出しバイアス(recall bias)は病気の発症の有無により過去の治療歴や生活習慣などの思いだしの範囲や程度に差がでることにより発生します。たとえば、深刻な先天異常を持った新生児の母親は、妊娠中に市販の薬を飲んだとか、熱を出したとか、妊娠早期のことを正確に思い出そうとします。しかし、正常新生児の母親は市販薬や発熱のことなどは思い出せないかもしれません。
  • 食品摂取量に関する調査においても、摂取量が多い人は少なめに、摂取量が少ない人は多めに答える傾向があることはよく知られています(フラットスロープ症候群、flat slope syndrome)。
  • その他、先入観によるバイアス、質問者の意向や世間の動向に沿おうとするバイアスなどもあります。
  • 出版バイアス
  • 出版バイアス(publication bias)は有意な結果が出た研究は刊行されやすく、そうでない研究は世に出にくいという傾向があることにより発生します。これには研究者側と学術誌側の双方の事情が絡みます。
  • 出版バイアスを回避するためには研究を計画した段階で登録・公開することです。すでに、介入研究(試験)では事前登録が義務付けられています。また、世界的に権威のある医学雑誌は事前登録されていない介入研究は掲載しないという方針をとっています。しかし、そうでない医学雑誌もあり注意が必要です。

■交絡(交絡バイアス)

 

 

  • 「コーヒーを飲む人は肺がんになりやすい」という話があります。実はこの話、コーヒーを飲む人は、飲みながらタバコを吸うことが多かったということです。コーヒー好きだから肺がんの発生率が高かったのではなく、コーヒー好きには喫煙者が多かったから肺がんの発生率が高かったというだけの話しでした。
  • 喫煙の有無でグループ分けし、それぞれをコーヒー好きの人とそうでない人の肺がん発生率を比べるとコーヒーと肺がん発生率に差はなくなり、コーヒーは肺がん発症とは無関係であることが分かります。
  • 喫煙という因子が交絡因子(confounding factor)として働き、コーヒー好きには喫煙者が多いという事から交絡(confounding)という現象が生じたのです。この交絡を交絡バイアス(confounding bias)と呼ぶことがあります。

 

■その他のバイアス

  • ホーソン効果(モニター効果)

 

 注目されているというだけで行動が変化する現象をホーソン効果(Hawthorne effect)といいます。ダイエット効果を見る臨床研究に参加するだけでモチベーションが上がるからです。内緒でウオーキングやジョギングまで追加しているかもしれません。

 

TVでの○○ダイエット。ホーソン効果抜群です。なにしろ、日本全国の人が見ているのですから。全例成功!? ただし、失敗例は放送されないだけかもしれません(出版バイアス)。

 

 

バイアスを小さくする方法

 

 バイアスを小さくするためには様々な工夫が必要となります。まず、交絡因子のコントロールとして無作為割り付け試験を行うことが必要です。分かっている交絡因子だけでなく、未知の交絡因子に対しても無作為割り付けによりその影響を回避することができます。さらに、情報バイアスを防ぐため盲検化し、患者と治療者(医師)などの効果判定者に実際に行われている治療内容が分からないようにします。

 

■無作為割り付け

 糖尿病の患者さんに糖質制限ダイエットをお願いして経過を見れば糖尿病が改善するかどうかは分かるかもしれません。肥満気味の糖尿病の患者さんを選び糖質制限をしてもらいます。痩せる気がある人を「糖質制限群」とし、糖質制限を実行してもらいます。痩せる気がない人を「対照群」とし、今まで通りの食事をしてもらいます。

 

 痩せる気のある人、すなわち「本気の人」は糖質制限を頑張って実行するでしょう。少し成果が見えはじめると「嬉しくなり」より一層頑張るかもしれません。あるいは、糖質制限だけでなく摂取カロリー全体の制限をするかもしれません。さらに、運動まで追加するかもしれません(ホーソン効果)。一方、「やる気のない人」は今まで通りです。運動はおそらくしないでしょう。結果は一目瞭然です。これでは糖質制限の効果は分かりません。「食事の差」をみているのではなく、「やる気の差」をみているのに過ぎないのかもしれません。

 

 この問題を回避する方法が無作為割り付け(randomized control)です。また、それでなされた試験・研究を無作為割り付け試験(randomized controlled trial、RCT)といいます。「やる気のあるなし」で分けるのではなく、コインを投げ表が出たら糖質制限をする「治療群(介入群)」、裏がでたらしない「対照群」と無作為に(偶然の要素で)割り付けます。そうすることで、両群の「治療(介入)の有無」以外の要因(性別、年齢、肥満度、重症度など)は全て偶然の誤差とすることができます。偶然誤差は対象者を増やすことで誤差を小さくすることができます(既述)。実際はコイン投げではなくコンピュータで乱数表を発生させて行われます。

■盲検化

 

 盲検化(ブラインド化blinding、マスク化masking※1は開発中の薬(新薬)の効果や有害事象(副作用)を検討する時などに用いられる方法です。薬の効果は心理的な影響を受けます。薬としては何の作用も持たない偽薬(プラセボ placebo)※2でも、本物だと思って飲めば、ある程度効いたような気になるといわれています。また、偽薬だと思うと効果を感じず、逆に副作用を強く感じる可能性があります。(プラセボ効果)。

 

 開発中の薬(新薬)が本当に効くのかどうか調べるためには、新薬と見た目も味もそっくりの偽薬(プラセボ)を作り見分けがつかないようにしておいて、新薬を飲む人とプラセボを飲む人でその効果に違いがあるかをみる必要があります。これを単盲検(single blind)といいます。さらに、効果を判定する側にも注意が必要です。新薬(実薬)の効果を過大評価したり、有害事象(副作用)や期待した効果にそぐわない結果を見過ごしたりしてしまう可能性があります(観察者バイアス)。その対策として、薬を出す医療者・判定者側にも新薬(実薬)かプラセボか分からないようにします。これを二重盲検(double blind)といいます。さらに、解析者も知らない状態を三重盲検(triple blind)といいます。解析者が割り付け結果を知らずに解析することは対象者や主治医・判定者の盲検化の有無に関わらず必要かつ可能なことなので、通常二重盲検といえばこの三重盲検のことを言います。

 

 しかし残念ながら、こと食事・栄養に関する試験・研究では二重盲検化はおろか単盲検化することも難しいようです。なぜなら、被験者には自分がどのグループに振り分けられたかは直ぐに分かってしまうからです。その結果、ホーソン効果やプラセボ効果をはじめ種々のバイアスが発生します。しかも、それを回避する方法はありません。食事や健康に関する情報の真偽・質を見極めるには「裏の情報」を読み解くことが必要となる所以です。

 

※1)盲検化(blinding):近年は視覚障碍者への配慮からマスク化maskingともいわれる。

※2)現在では倫理上全くの偽薬(本当に効果のない薬)を対照群に使うことはない。その時点で最も効果のある(または標準的)と考えられる薬が偽薬(placebo)として使われる。この場合、偽薬のことを対照薬(comparator product)という。