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スキーと私(その3)

2017年1月

人間至る処青山あり


松山からニセコへ
 スキーを始めて10年目頃。私は完全にスキーに嵌ってしまったようです。仕事を終えた土曜日の午後、松山から新千歳まで飛行機で飛び、JRで札幌へ。札幌からバスで中山峠を越えニセコへ向かいます。夜8時過ぎに定宿のロッジ浦中に到着。JRよりバスの方が連絡がスムーズでした。

 

 新千歳空港からニセコへの直行バスがありました。しかし、午後出発の飛行機便では最終の直行バス便には間に合わなかったのです。

 

 

 

ニセコ・ヒラフのナイター

 当時、ナイターにも行っていました。午前、午後と滑り、それにナイターです。なぜナイターにまで行くのか? 道産子や道民なら当然そのように思われるでしょう。それには2つの理由がありました。


 理由その一。
日中のスキーで雪面は荒れてきます。ニセコ・ヒラフにはナイターのため再度圧雪してくれるコースがありました。

 当時、ヒラフ(現グラン・ヒラフ)スキー場の整備(圧雪)は営業開始前の早朝ではなく、営業終了後に行われていました。ニセコは豪雪地域です。当然のことながら、圧雪後の夜間にも雪は降ります。翌朝、かなりの深雪となっていることもありました。パウダーフリークにはたまらない存在のようです。事実、最近はオーストラリアなど大勢の外国の方がパウダースノーを求めてニセコにやってきています。

 ただし、下手なスキーヤーにとって深雪は邪魔な存在以外何物でもありません。本来は爽快なはずの朝一番で悪戦苦闘することが多々ありました。

 

 こんなこともありました。20~30cmの新雪、朝一。しかし残念、気持ちと身体は後ろ向き。悪い予感がしていました。案の定、中緩斜面でビンディングが外れ転倒、スキー板を探す羽目となりました。最初は身体から2~3m前後までを探したのですが見つかりません。スキー板は新雪の中をくぐり、身体からさらに5メートル以上も下に滑り落ちていたのです。雪面を見ただけではそれと分かりません。スキー板を探すのにかなり手こずりました。

 

 ヒラフのジャンボコースはナイターのために夕方コースを一時クローズし再度圧雪してくれるのです※1)。バーンは真っ新フラットで邪魔な雪などありません。しかも、滑る人は少なく、まるで貸し切り、マイゲレンデです。下手なスキーでも気持ちよく滑れます。スキーが上手くなったような錯覚に陥ります。

 

 

 

  理由その二。その当時、下火とはなったとはいえ、まぎれもなく「スキーバブル期」でした。お得なスキーパックは通常2人以上でないと受け付けてくれません。しかし、こんな私に付き合ってくれる人などいません。飛行機も宿も別々に取る必要があります。さらに、当時の飛行機代は今のように通常料金の半額以下という早割はなく、早期の予約でも割引率はわずかでした。旅費と宿代を合わせると、パックの2倍位は掛かりました。したがって、元を取らないといけません。朝一番から夜まで、ひたすら滑る訳です。しかし実際には、それなりに休憩も多く、滑っている時間はそんなには多くはなかったようです。ナイターのための余力を残しておく必要があったからです。

 

 ナイターで滑った翌日は午前中までは何とかなるのですが、午後になると足、特に太ももが疲れてしまいスキーになりませんでした。そんな時はレストハウスでボーッと過ごしていたようです。

 

※1)これは今から20年位前の話です。最近はヒラフ(現グラン・ヒラフ)のナイターを滑ることはありません。したがって、今でももこのような再圧雪が行われているかどうかは知りません。

 

 

ニセコから松山へ

 

 そんなことを1週間も続けて松山へ帰ります。土曜日にニセコに着き、翌日曜日から土曜日までひたすら滑り、日曜日に松山まで帰ります。空港までの交通はバスではなく、多くはJRを使いました。

  朝6時過ぎの二番列車で倶知安を出ます。外は雪明り※2)。小樽まで乗り降りする人はほとんどいません。朝早く起きた事と1週間の疲れで、ついウトウトしてしまいます。

 

 7時過ぎに小樽に着くと勤め人や学生がドドッと乗り込んできます。目が覚めた私は、さらに札幌・新千歳へと向かいます。「1週間おバカなことをした」という自責の念と「その割にはスキーが上手くならなかった」という自虐の念に駆られつつ外を見ました。そこにあるのは荒々しい波しぶきをあげる石狩湾でした。

 

 今思うと石狩湾は本来そんなに荒れる海ではありません。その記憶だけが鮮明に残っているのは、やはりあの悲惨な余市の豊浜トンネルの崩落事故※3)の影響かもしれません。私が住んでいた四国・松山でもニュースや特番で連日報道されていました。

 

 その時は、北海道というのは「遊びにはいいが、住むには厳しい」と思ったものです。それから数年後、その自分が北海道に住むようになるとは…。当時は想像すらもできませんでした。

 

 

※2)雪明り:積もった雪の反射で、夜も周囲が薄明るく見えること。

 

※3)1996年2月10日、朝8時頃積丹半島の古平-余市の間にある豊浜トンネルが崩落し路線バスと乗用車1台が巻き込まれ20名の命が奪われた事故。

 

 

 

人間万事塞翁が馬 ※4)

 

 その数年後、北海道に来る前の1年間は香川県の病院に勤務していました。その病院に転勤する前、愛媛松山の病院の副院長で同門のトップから「お前もこれからは今までのように病院を休んでスキーに行けなくなるだろう」「勝手なことをしない方がよい」と柔らかく諭されました。

 

 香川県に転勤後、休むのではなく「年末年始の休暇中ならいいだろう」とニセコに行きました。しかし、同門で内科のトップの副院長から大学の教授に連絡が行ったようです。すぐさま呼びつけられ、こう言われました。「またやりましたね!」

 

 しばらくして、医局長より電話がありました。田舎の病院への転勤です。こうなると医局を辞めるしかなさそうです。

 

 絶対条件としてスキーができる所。候補地として長野県、新潟県、福島県、北海道(札幌)。長野と北海道(ニセコ)へは家族も連れて何度かスキーに行っていました。家族の希望で田舎はダメ。そうなると、候補の病院が一番多かった札幌! 文句なしに決まりました。

 

 「またやりましたね!」には伏線があったようです。香川の前、愛媛・松山の病院の院長は、私が休暇を取ってスキーに行くことが許せなかったようです。それで、医局の教授に「あいつはけしからん」と何度も手紙を送っていたとのことでした。副院長の「今までのように病院を休んでスキーに行けなくなるだろう」からも窺い知ることができます。

 

 今思うに、恐らくは「今度行ったらアウト」と上のレベルではコンセンサス(合意)ができていたのでしょう。当時はそれに気が付きませんでした。

 

 いずれにせよ、北海道に来ることができたのは愛媛・松山の病院の院長と香川の病院の副院長、この2人のお蔭です。

 

※4)人間万事塞翁が馬:人間は「じんかん」と読む。→ 院長の独り言 第18号 平成27年新年号

 

 

人間至る処青山あり

 

 幕末の僧、月性(げっしょう)の清狂遺稿の「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処青山あり」から。

 

 「世の中は広く死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもある。大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍すべき」という意味。

 

 「人間」は人の住む世・世の中のこと、「じんかん」と読む。「青山」は樹木が青々と茂った山で埋骨にふさわしい土地、墓のこと。

 

 私の場合、志を立てた訳ではありません。スキーのお蔭で「塞翁が馬」の幸(福・吉)を得ることができ、北海道・札幌に来ることができました。

 

スキーに感謝

 

 

 

札幌の二度泣き

 

 札幌に転勤を命じられた人は、①都から遠い北辺の地に流されるかのような寂寥感や悲壮感で泣き、②数年を札幌で過ごし他都市への転勤を命じられた時には、よそ者をも受け入れる温かい人情に包まれ、快適な生活を送ることのできた札幌の街への離れ難い思いで泣くそうです。

 

 私の場合は「お前はクビだ」と言われ、多少の落ち込みはありました。しかし、自分の意思で札幌を選ぶことができました。そして、「よそ者をも受け入れる温かい人情に包まれ、快適な生活を送ることができる札幌」を実感しています。

 

北海道に感謝

 

札幌に感謝

 

一緒に付いてきてくれた家族に感謝

 

 

コーチング

 

 私が所属するRIレーシング。社会人のレーシング・スキーチームです。コーチは佐藤徳造氏。コーチは私には実現困難で複雑な技術指導や助言はしません。私のように下手なスキーヤーに多くのことを望んでも無駄なばかりか妨げになることを分かっておられるからでしょう。

 

 そのコーチの私への指導・助言で最初から一貫したものがあります。「ストックを前に突く」ことです。ストックが「前に突けない」ということは身体が遅れている(後傾)からです。「鶏が先か、卵が先か」ではなく、「体が遅れているから前に突けない」のです。体が遅れないようにする、または矯正するために「ストックを前に突く」という意識や動作は、「身体が遅れないようにする」という意識や動作に比べて、分かりやすく、より少ない努力で達成できるようです。さらに、そうすることで膝が前に入り(脛に力を入れスキーブーツのベロを押し)スキー板を前に踏むこともできます。

 

 手首の角度も大切なようです。手首が内側に入ったり、外側に反ったりする場合は、気持ちが後ろに向いています。防御姿勢(反射)なのです。ストックを持たない日常動作でも容易に実感することができます。拒否・防御の場合は自然と手首が反ってきます。反対に拳で何かを真っ直ぐ殴る時、手首を内や外に曲げる人はまずいません。

 

 

 

 レーシングチームの他のメンバーにはより細かく、より高度な指導・助言(コーチング)がなされています。少し寂しいような、悔しいような気もします。しかし、これが今の私のスキーのレベルなのでしょう。ハイレベルで実現不可能なことを指導されても、「できない」「混乱する」のみならず、モチベーションまでが低下してしまうことでしょう。私にとって、これだけでも十分なコーチングになっています。

 

医学の世界でもコーチングが導入されつつある

 

 コーチング(coaching)の語幹のコーチ(coach)の語源は15世紀ハンガリー北部にあるコチ(kocsi)という村で作られていた、当時では画期的なサスペンション付きの自家用四輪馬車にあるそうです。その馬車は村の名前にちなんで「コチ」と呼ばれるようになりました。「大切な人を、その人が今いるところから、その人の望むところまで安全に送り届ける」という意味で、目標を達成したり自己実現したりするまでサポートする人のことをコーチと呼ぶようになりました。

 

 私たちに馴染みのあるのはスポーツのコーチでしょう。もともとは、その技術向上のために選手に技術を訓練・指導するトレーナーとしての役割を行ってきました。1990年代以降は選手に「自主性を持たせ」「バランスを取り」「選択肢を増やし」「能力を引き出し」「目標に到達させる」ことが求められるようになりました。

 

 医学の世界では、かなり遅れているようです。例えば、高血圧と脂質異常症、肥満のある糖尿病患者さんがいたとします。医師はその患者さんに塩分やコレステロールの多い食品の摂取を控えること、バランスよく摂取カロリーを制限して痩せること、適度な運動をすること、そして薬を飲むよう指示します。

 

 こんなに沢山のことを一度に、しかも一方的に言われると、それを実行できる人はまずいません。挙句の果ては、痩せないことや血糖値・HbA1cが下がらないのは「あなたが悪い」といわれてしまいます。

 

 最近は、このようなやり方はNGということが分かってきて、徐々にコーチングの考え方・技術が導入されるようになってきています。医師の側から一方的に「痩せろ」「運動しろ」「この薬を飲め」とか言っても患者さんはなかなかその気になってくれません。患者さんの気持ちを聞き、それを尊重し、患者さんが実行できそうな事から始めないと患者さんはその気になってくれません。(詳しくは別の機会に)

 

 

 

スキーに興味のある方 →のHPを。 RIレーシングのホームぺージ → http://www.ri-racing.net/   

 

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