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目次
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2016年4月
■問題
① 次の臓器には共通して「あること」が行われています。あることは?
眼 心臓 肺 肝臓 膵臓 腎臓 小腸 骨髄
② 米国では年間1万4千人が死亡しているとされる、抗生物質が効かないクロストリジウム・ディフィシル感染症。この難病は抗生物質の乱用により発生するとされています。最近、この病気に対してある治療法が行われるようになりました。その治療法とは?
A:新しい抗生物質 B:免疫抑制療法 C:移植療法 D:絶食療法
■解答 ① 臓器移植 ② C:移植療法 |
クロストリジウム・ディフィシル感染症に対する治療法 |
2013年1月、オランダのアムステルダムにある研究チームがクロストリジウム・ディフィシル感染症という抗生物質の効かない腸炎の治療法に関する研究を米国の世界的医学誌「New England Journal of Medicine(NEJM)」に報告し、俄然注目を集めるようになりました。その治療法とは?
健康な人の糞便を腸内に移植する「糞便移植」です。 エ! 便を移植するって? |
■クロストリジウム・ディフィシル感染症とは
お年寄りや手術後・病気などにより抵抗力が落ちている時、抗生物質を使用するとクロストリジウム・ディフィシル感染症(Clostridium difficile infection、以下C.ディフィシル感染症)を引き起こすことがあります。主な症状は下痢、腹痛、吐き気・嘔吐、発熱などです。重症になると偽膜と呼ばれる白黄色の斑点が大腸粘膜内に広がることがあり、偽膜性腸炎と呼ばれています。この様になってくると、腸に穴が開く「腸管穿孔」や敗血症などの合併症を引き起こし、最悪の場合は死に至ることがあります。
C.ディフィシル感染症は日本ではまだそれほど多くはありません。しかし、欧米では患者が増えてきています。特に、米国では年間50万人が発症、25万人が入院、少なくとも1万4千人が亡くなっているとされています。
この病気を引き起こすC.ディフィシルという細菌は腸内細菌の一種で、本来は日和見菌です。したがって、通常はそんなに悪さはしません。感染症治療のため抗生物質を使いすぎると、善玉菌も悪玉菌も含めて正常の腸内細菌叢が減りバランスが乱れてきます。すると、日和見菌のひとつC.ディフィシルが俄然のさばって異常に増殖してきます。
この菌は芽胞(*)に包まれていて抗生物質が効きにくい性質(耐性)があります。何度も抗生物質を使っているうちに、ますますこの菌だけが勢力を増し、他の菌の勢力が衰えていきます。治療にはさらに強力な抗生物質を使うしかありません。
当然のことながら、この病気に対する新しい抗生物質(メトロニダゾール、バンコマイシン)も開発されています。しかし、そもそもはこの病気の原因は抗生物質の使い過ぎによるものです。したがって、抗生物質による治療法には限界があり、根治は難しいということになります。
*)芽胞(がほう):一部の細菌が増殖に適さない環境になったときに形成する、耐久性の高い特殊な細胞構造。いわば、バリアーの様なもの。熱・薬剤・乾燥などに強い抵抗力を示し、長期間休眠状態を維持できる。増殖に適した環境になると発芽して通常の菌体に戻る。C.ディフィシル菌は抗生物質による攻撃に対して芽胞というバリアーを作り自身が生き延びる手段をもっている(抗生物質耐性)。
驚異の治療法 糞便移植 |
■糞便移植
糞便移植の歴史は意外と古く、紀元4世紀の中国で「黄色いスープ」として食中毒や腸炎に使われた記録があります。近年では、1958年にデンバーの医師たちが重症偽膜性腸炎患者4例に健常者の便を注腸投与することにより治療に成功したとの報告があります。その後、散発的にこの治療は行われていました。しかし、無作為比較試験ではなく科学的な評価は得られていませんでした。
■驚異の治療法
オランダの研究チームが行ったC.ディフィシル感染症に対する研究報告は、初めての「無作為割り付け試験」でした。偽膜性腸炎(C.ディフィシル感染症)の特効薬である抗生物質バンコマイシン(※)による治療を行ったにもかかわらず再発した42例を、
①バンコマイシンを4日間服用、その後腸洗浄を行い健常者の便を経鼻チューブから十二指腸に注入した群(16名)
②バンコマイシン14日間投与のみの群(13名)
③バンコマイシン14日間投与後、腸洗浄を行った群(13名)
の3群に無作為に分け治療効果をみました。治療終了後10週間再発がなければ治癒と判断しています。
その結果は驚くべきことでした! 糞便注入群16名のうち13名(81%)が最初の注入後に治癒しました。再発した3名に別の健常人の便を注入すると2名が治癒しています(合計16名中15名、94%が治癒)。しかし、バンコマイシンのみ投与群では13名中4名(31%)、バンコマイシンおよび洗浄群では13名中3名(23%)が治癒したのみでした。
※)バンコマイシン:C.ディフィシル感染症の治療にはメトロニダゾールとバンコマイシンを使用する。しかし、この菌は芽胞を形成するため感染症の20~30%は再発する。
■なぜ糞便移植が効くのか?
C.ディフィシル感染症は抗生物質の使い過ぎで腸内(腸粘膜)がいわば“焼け野原”のようになり、抗生物質に強いディフィシル菌が生き残り、“わがもの顔”にのさばるために発病します。糞便移植を行うと健康な人の腸内フローラを構成する多種多様な菌が丸ごと患者の腸内に入ってきます。これらの菌が全体としてC.ディフィシル菌の増殖とその病原性を抑え込んでくれると考えられています(院長の独り言、28年3月号参照)。
潰瘍性大腸炎に対する便移植療法 |
2015年カナダのマクマスター大学の研究チームが潰瘍性大腸炎※1)患者に無作為割り付け試験を行っています。活動性の潰瘍性大腸炎75名を、①便移植を行った群(38名)と、②プラセボ(水、偽薬)を投与した群(37名)の2群に分け、7週後の症状改善率を比較しています。①便移植群では38人中9人(24%)が、②プラセボ群では37人中2人(5%)が症状を改善しています。
ただし、C.ディフィシル感染症に対する便移植と比べ潰瘍性大腸炎での緩解率は低いレベルにとどまっていました。その理由として、潰瘍性大腸炎ではその発症原因が腸内フローラの異常だけでなく、他の要因も複雑に関係しているためと考えられています。
2013年のオランダの研究チームのC.ディフィシル感染に対する便移植の報告を受け、日本でも2014年3月より慶応大学、同6月より順天同大学などで潰瘍性大腸炎に対する便移植の臨床試験(※2)が始まっています。
消化器の病気ではC.ディフィシル感染症、潰瘍性大腸炎以外にも、クローン病や過敏性腸症候群、脂肪肝(NASH)などが腸内フローラの異常により発症する可能性があると考えられていています。
※1)潰瘍性大腸炎:大腸の粘膜にびらんや潰瘍ができる炎症性腸疾患の一つ。下痢や腹痛、発熱などの症状あり、再発しやすく、国の特定疾患にも指定されている難病。近年、患者数は増加しており16万人を超えている。原因に関しては何らかの免疫異常が関与しているのは確実だが、詳しくは分かっていない。
※2)臨床試験:新しい薬や手術、放射線治療などを用いた新しい治療、あるいはそれらの組み合わせで行われる治療法などに対して、その効果や安全性について確認するために行われる試験のこと。当然、健康保険は利かない。
■安心してください – 「食べる」のではありません
糞便移植というと…。ほとんどの人は「そんなバカな」「考えられない」「なんと野蛮な」「汚い」「気持ち悪い」と拒絶反応を示すと思います。当たり前です。「ウンチ」、しかも「他人」のものを移植するのですから。
先に述べたように、オランダの研究チームはC.ディフィシル感染症に対する糞便移植の治療効果は90%以上という驚異的な成績を報告しました。さらに、他の研究者による追試でも80~90%前後の有効率があることが確かめられています。この事実を考えると「汚い」とは言ってられないのかも知れません。
C.ディフィシル感染症が社会問題ともなっている米国では、医学会のみならず一般社会においても糞便移植はかなり受け入れられています。その米国で、この感染症患者約400名に糞便治療に関するアンケート調査が行われました。なんと、85%の患者が便移植を用いた治療を選択し、残りの15%の患者が従来の抗生物質を用いた治療を選択しました。さらに、主治医が推奨した場合は94%の患者が便移植を受けると回答していました。
米国の人たちは何と勇気があるのでしょうか! 他人のウンチを受け入れるのですから。
安心してください。口から直接ウンチを食べたり飲んだりする訳ではありません。では、一体どのような方法なのでしょうか? オランダの研究チームは細いチューブを鼻から食道・胃を通し十二指腸まで入れ、処理をした糞便を流し込んでいます。処理の手順は次の通りです。
■主流は大腸内視鏡からの注入
ただし、先のアンケートで糞便移植を拒否したグループでは、鼻からチューブを入れることに拒否反応を示す人が多かったとのことです。当然のことながら、それ以外の方法も考えられています。肛門から浣腸(注腸)する方法、上部内視鏡(胃カメラ)や大腸内視鏡を用いて注入する方法などです。最近では大腸内視鏡を最も深いところ(盲腸)まで挿入し内視鏡の管から注入する方法が一般的となっています。
なお、糞便移植という用語への抵抗感を緩和するため、最近では「便微生物移植」と呼ばれるようになってきています。
メタボも便移植で治る? |
腸内フローラの異常が原因でおきる病気は腸の病気以外にもあります。C.ディフィシル感染症に便移植の無作為割り付け試験を行ったオランダの研究チームが、メタボリック・シンドローム(以下、メタボ)に対して便移植を行いました。
18名のメタボ患者(BMI:30以上)を、①痩せた人(BMI:23以下)の便を移植(9名)と、②自分の便を移植(9名)の2群に無作為に分けました。①痩せた人の便を移植された群では、中性脂肪の値とインスリン感受性※)が改善していました。しかし、②自分の便を移植された群では変化は認められませんでした。さらに、腸内細菌の遺伝子解析では、痩せた人の便移植が行われた群では菌種の増加がみられていましたが、肥満者では菌種の多様性が減少したままでした。
これは、メタボや肥満、糖尿病に対する予防と治療に糞便移植が有用である可能性が示されたことを意味します。ただし、メタボや糖尿病に対する糞便移植が盛んに行われるかどうかは微妙です。そんなことをする位ならダイエットに励むと言う人の方がはるかに多いと予想されるからです。
※)インスリン感受性:インスリンの効き具合のこと。1型糖尿病以外の糖尿病(2型糖尿病)では血糖値を下げる働きのあるインスリンの働きが低下している(インスリン感受性の低下)。その結果、健康状態を維持するためには、より大量のインスリンを必要とする様になる(インスリン抵抗性)。インスリンは脂肪組織にブドウ糖を取り込み脂肪に変える働きがある。すなわち、インスリン感受性が低下すると糖尿病や肥満・メタボになりやすい。
新しい方法も |
チューブや浣腸・内視鏡を用いて処理した糞便を注入する以外にも、次のような方法も考案されています。
① 糞便をカプセルに詰め冷凍保存して経口投与する。
② 糞便中の有効と考えられる腸内細菌のみを分離培養し、便の臭いや色のない錠剤・カプセル化する。
■糞便バンク誕生
眼、腎臓、骨髄などの臓器バンクや精子バンクなどはよく知られています。そして、遂に新たなバンクが誕生しました。なんと、糞便バンクです。糞便サンプルを補完する目的で、2015年に米国で2つ、2016年にオランダ1つオープンしています。糞便バンクには加工処理した糞便が凍結保存されます。
便提供者(ドナー)となるための条件とは、健康であることはもちろんのこと、太り過ぎ(*)であったり痩せ過ぎであったりしないことと、腸内細菌のバランスが良好であることです。米国の糞便バンクはドナーに報酬が支払われますが、オランダの糞便バンクでは支払われません。
*)念のために…。便提供者の条件として太り過ぎないではなく「正常体重」であることは、既に説明した次の2点を意味します。