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2016年5月
過敏性腸症候群 |
■こんな経験ありませんか?
通勤・通学の電車の中で急にお腹が痛くなり途中の駅で降りトイレに駆け込む。人前での発表や試験などストレスのかかった状況では、お腹が痛くなり実力を発揮できない。知らないところを旅行すると便秘になる。
このような状況が長く続くとトイレのことが頭から離れなくなり、肩こり、頭痛、不眠など自律神経の調子も悪くなります。そして、ますます腹痛、下痢、便秘などの症状が悪化して悪循環に陥ってしまいます。このような状況を医学的には過敏性腸症候群といいます。 |
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■過敏性腸症候群
主な症状は下痢や便秘などの便通異常、腹痛や腹部の不快感です。これらは命にかかわるようなものではありません。しかし、患者さんにとっては大変悩ましいもので、日常生活の質(QOL)が大きく低下してしまいます。
罹患率は10~15%、女性は男性の1.2~1.7倍の有病率です。20~30代に多く、40歳以降は男女ともに有病率は低下してきます。
多くの方は大腸がんや潰瘍性大腸炎などの大腸炎を心配して医療機関を訪れます。しかし、実際に検査をしてみると腫瘍や腸炎などの異常(器質的疾患)を認めません。いわゆる機能的な疾患(機能性疾患)です。
腸に器質的な異常が見られないのに、なぜ便通異常や腹痛などが起きるのでしょうか? その原因に遺伝、幼少時の環境、ストレス、感染など身体的要因、心理的要因が関係しています。近年、自律神経や神経伝達物質、内分泌物質を介した脳と腸の相互の関係が注目されています。 |
■脳腸関連
腹が立つ、腹黒い、太っ腹、腹を読む、腹を決める、腹に一物あり、腹の虫が治まらない・・・。心(脳)と腹(腸)の関連を表す言葉はたくさんあります。現代では脳と腸の関係はかなり解明されつつありますが、先人たちは脳と腸のつながりを経験的に知っていたのでしょうか?
過敏性腸症候群では脳と腸が、お互いに悪い方に影響し合います。脳でストレスや緊張を感じると、腸に影響を与え下痢や腹痛をきたします。また、お腹の調子が悪い状況が続くと、脳に悪影響を与え肩こり、頭痛、不眠、イライラなどの症状が出てきます。その結果、悪循環に陥ってしまいます。
脳と腸は自律神経やホルモンを介して相互に繋がっていて、お互いを調整し合っています。このような関係を脳腸関連と呼びます。すなわち、「腸は心の鏡」なのです。また逆に、「心は腸の鏡」でもある訳です。
腸内細菌は性格を左右する |
カナダのマクマスター大学のプレミンシル・ベルチック博士(現教授)は衝撃的な研究を英国の世界的科学誌ネイチャーに報告しました。マウスの腸内細菌を入れ替えると性格が変わるという実験です(Nature 2012年11月)。
実験用マウスの系統には現在400種以上あるとされています。各系統は、形態、生物学的特性、行動パターン、病気の罹患率、性格がそれぞれ異なり、その特徴に応じて幅広い研究分野で利用されています。
ベルチック博士は臆病なマウス(臆病マウス)と好奇心が旺盛で活発なマウス(活発マウス)を選びました。そして、高さ5cmの台の上に乗せ、そこから降りるまでの時間で警戒心を測りました。臆病マウスは、なかなか台から降りず5分後にやっと降りてきます。一方、活発マウスは17秒で台から降りてしまいました。
この二種類のマウスの警戒心の違いは元々持っている遺伝子の違いによるものだと考えられていました。しかし、ベルチック博士は腸内フローラにも違いがあることを発見し、これがマウスの性格と関係しているのではないかと考えました。
そこで、活発マウスの腸内フローラを臆病マウスに移植。反対に、臆病マウスの腸内フローラを活発マウスに移植しました。3週間後、再び実験を行うと驚くべき結果となりました。活発フローラを移植された臆病マウス(下図C)は警戒レベルが下がり大胆で活動的になり台から早く降りるようになりました。反対に、臆病フローラを移植された活発マウス(下図B)は警戒心が強まり台にいる時間が大きく伸びました。これは、腸内フローラが脳に由来する神経因子を変化させることで起こったと考えられます。
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遺伝的に自閉症を持っているマウスの腸内フローラを変えることで、症状が軽減したという研究も報告されています。「腸内フローラは心や脳にも影響を与える」-これは、人間に対しても応用されはじめています。
ベルチック博士は次のようにコメントしています。「腸の状態が、脳に影響して性格などに変化を及ぼす可能性があるということです。腸の調子が悪い状態が続くと、脳の働きまで悪くなってしまうのです」。さらに、「我々は、うつ病患者に腸内環境に良い影響を及ぼす腸内細菌を投与することで、不安やうつが改善するという結果も得ました。さらに言えば、腸内フローラを変えることで、人間の性格や行動もある程度変えられるでしょう」。
腸は第二の脳
腸には脳に次いで大きな神経ネットワークがあり、「腸は第二の脳」といわれています。脳でストレスや緊張を感じるとお腹を壊すことがあるなど、脳が腸に与える影響は以前から知られていました。そして、「腸の調子が悪い状態が悪いと脳の働きまで悪くなり、感情や性格の変化まできたしてしまう」という逆方向のルートも分かってきました。
腸内細菌とセロトニン |
ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンは感情(気分)を支配する代表的な脳内神経伝達物質です。ドーパミンは快感を増幅させ、ノルアドレナリンは意欲を高めます。セロトニンは心を安定させ集中力、幸福感を高めます。これらが不足するとうつ病や不眠症を引き起こします。セロトニン(serotonin)は幸福感を高めるため「幸せホルモン」とも呼ばれています。そのセロトニンはどのように作られるのでしょうか※)。
体内にはセロトニンが約10mg存在します。腸(粘膜)に90%、血液(血小板)に8%。そして、残りの2%が脳に存在します。セロトニンはトリプトファンという必須アミノ酸から5-ヒドロキシトリプトファン(5-HTP)を経てセロトニンが合成されます。
トリプトファンは通常の食事をしていれば不足することはまずありません。トリプトファンから5-HTPに変換される時にビタミンB6が必要です。ビタミンB6は食品からも摂取できますが腸内細菌が合成するルートが主な供給源です。
脳内のセロトニンは腸などで作られたセロトニンが直接脳内に取り込まれているのではありません。脳には血液脳関門(BBB)という関所のようなものがあり特定の物質しか通過できません※2)。セロトニンはこのBBBを通過できません。トリプトファンから作られた5-HTPがBBBを通過し脳内で5-HTPからセロトニンが合成されます※3)。いずれにせよ、脳内を含めた体内のセロトニンの合成には腸内細菌が重要な働きをしていることになります。
※1)「快楽ホルモン」とも呼ばれるドーパミン、「怒りのホルモン」「ストレスホルモン」とも呼ばれるノルアドレナリンは必須アミノ酸のチロシンから腸内細菌の働きでL-ドーパ(L-dopa)となり血液脳関門を通過し脳内でドーパミン、ドーパミンからノルアドレナリンに変換される。セロトニンはドーパミンやノルアドレナリンが暴走しないよう舵取りの役目もはたしているとされる。
※2)血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB):脳にとって有毒なもの不要なもの通過させないバリアー。しかし現在では、BBBは脳に必要な物質を血液中から選択して脳へ供給し、逆に脳内で産生された不要物質を血中に排出する動的な機構であると考えられている。
※3)体内のセロトニンの90%は腸(粘膜)にあり腸の蠕動運動に関与する。多いと下痢になり、少ないと便秘になる。8%は血小板に存在し血液の凝固や血管の収縮に関与する。残りの2%が脳内神経伝達物質のひとつとして脳内に存在する。もし、脳内のセロトニンが脳で作られるのではなく、体内(腸)で作られたセロトニンが直接脳に取り込まれるとすると「大変な」ことになるであろう。脳内のセロトニンの濃度が高くなり過ぎセロトニン症候群を発症する。セロトニン症候群では体温上昇、血圧上昇、異常発汗、動悸、下痢などの自律神経症状や震え、痙攣などの神経・筋肉症状、不安、興奮、錯乱、昏睡などの精神症状が出現する。こうなると、「幸せ」どころではない。まさに「パニック」であろう。
腸内細菌は脳の発達に必要 |
スウェーデンのカロリスカ研究所とシンガポールのジェノーム研究所の共同研究です。腸内細菌を持つマウスと無菌状態で育てたマウスの成長ぶりを観察しました(米科学アカデミー紀要 2011)。
腸内細菌を持たないマウスは、持っているマウスに比べ成長後に攻撃的な性格になり危険な行動をするようになりました。そこで、腸内細菌を持たないマウスに腸内細菌を移植したところ攻撃的で危険な行動は影を潜めおとなしい性格のマウスに変わりました。
しかし、性格が変化するかどうかは腸内細菌の移植時期により違いがみられました。成長初期に移植されたマウスはおとなしい性格に変わりましたが、成長後に移植されたマウスでは性格の変化はみられませんでした。
マウスの脳の変化を調べたところ、無菌マウスはセロトニンやドーパミンなどの脳内神経伝達物質が少ないことが分かりました。研究チームは成長過程において脳の発達や性格形成において腸内細菌が大きな影響を与えている可能性を示すとコメントしています。
以前述べたように、人間の場合は生後10か月位で腸内フローラの大まかな組成バランスが出来上がります(腸内フローラ、その1)。マウスの研究をそのまま人に当てはめることはできませんが、次のことがいえるかもしれません。もしかしたら私たちも、かなり早い時期から腸内細菌により性格が決められ、その後もその腸内細菌の影響下で成長してきたと(脳はバカ、腸はかしこい 藤田紘一郎)。
腸は「第二の脳」ではなく「第一の脳」かも? |
腸は「第二の脳」と言われています。しかし、腸内細菌学者は腸の方こそ「第一の脳」であると主張します。それは以下の理由によります。
脳のない動物はいますが腸のない動物はいません。クラゲやイソギンチャクなどの腔腸動物は、腸はありますが脳はありません。進化の過程では、まず腸ができ、その周りに神経系ができました。脳(中枢神経系)が出現するのは、その後です。生き物にとって腸はそれほど大切な器官であり、「腸こそ生命の源」といっても過言ではありません。
腸には脳に次いで多くの神経細胞(約1億以上)がありネットワークを作っています。そして、脳とは独立して自らの判断で、ある時は協調しながら、腸を動かし(蝉動運動)、食物の消化・吸収を行い、残りカスを便として排出(排便)しています。
たとえば、食中毒の原因となる菌・ウイルスや毒素が入った食べ物があったとします。腐敗が進み見た目や臭いでそれと分かる、知識や経験で危険であると知っている。それら以外の場合、脳はその食べ物が安全かどうか見分けることができません。そして、「食べろ」と命令します。しかし、腸はそれら危険な食物が入ると拒絶反応を示します。腸に入った食物が安全か否か、腸の神経細胞自らが判断します。腸が安全でないと判断した場合は、吐き出させたり下痢を起こして、できるだけ早く危険な物質を体から出そうとします。腸が脳に「吐き出す」よう指令を送ります。そして、脳は嘔吐反射を起こし嘔吐させます。腸は自らの意志でセロトニンを分泌し蝉動運動を起こし下痢をさせます。
ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなど感情(気分)を支配する脳内神経伝達物質の素となる物質は腸(腸内細菌)で作られています。多くのビタミン類も腸(腸内細菌)で合成されます。
マウスを使った実験ではありますが、腸内細菌は脳の発達や性格形成に必要不可欠です。
このように、腸は自ら動いて消化・吸収、排便を行い、病原体など危険なもの排除し、ビタミン類を合成し、感情をコントロールする脳内神経伝達物質の原料を作りの脳に供給しています。腸内細菌は脳の発達や性格形成に大きな影響を与えています。
腸は「第二の脳」であることは間違いのないようです。ひょっとすると「第一の脳」なのかもしれません。どちらにしろ、私たちはもっと「腸の声」に耳を傾け、慈しみ、大切にする必要がありそうです。