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2015年1月
“ニセコ” 我がルーツ
前回のあらすじ
忘年会でスキーに誘われた私は、職場の日帰りスキーツアーにでかけた。生まれ育ちと職場は瀬戸内海沿岸。この地の気候は温暖で数年に1回数センチ位の雪が降ることのあるだけの、いわゆる無雪地帯。30半ばにして初めてのスキー。そのスキーはと言うと、まったく滑れず、しかも二日酔いのため、ただ雪の上で寝ているだけの散々なものであった。しかし、白銀の世界がもたらす非日常性と開放感を体験した。
2年目。当時の中国地方の日・祝日のスキー場の混雑ぶりは大変なものであった。たまたま月曜日も滑るチャンスに恵まれ「平日のスキー場は空いている」ことを知った。
3年目。本格的なスキー場・野沢温泉スキー場に行き、圧倒的な広さと規模を体験。そこはまさに初心者天国であった。これで私の人生観は変わったようである。「医者だって人間だ。24時間365日というのは無理。出来る範囲で努力をしよう」と。(院長の独り言 2015年1月号より)
初めてのニセコ
4年目。職場のスキー仲間に連れられてニセコ・ヒラフスキ―場(現グラン・ヒラフ)に行きました。当時はまだ花園エリアはなく、アルペン・エリアも独立しており、現在の様な共通のリフト券はありません。それでも、私にとっては十分な広さでした。しかし、前年の野沢温泉スキー場とは打って変わって、なかなか「手強い」スキー場でした。
何が手強いのか? 当時の私のスキーレベルは完全な「ハの字」、プルークボーゲン(Pflugbogen)。まだ、シュテムボーゲン(Stemmbogen、ステムターンStem turn)なんぞは知りません。当然、コース案内に従い初級者用のコースを選びます。しかし、少数の例外を除いて、ほとんどのコースには初級者にとっては「急斜面」が最低1か所は待ち受けていたのです。通常、その様な場合は迂回コースが用意されているものです。ただ、その迂回コースも結構厳しいものでした。
さらに、迂回コースがない場合もありました。例えば、現グランヒラフ・ホリデーコースです。始まって少しのところに急斜面が控えていました。引き返す訳にもいかず意を決して「落ちていく」しかありません。今でも道外(*)からのお客さんが立ち往生しているのをよく見かけます。
間違って国体コースの「第2の壁」(左下写真)に足を踏み入れてしまったことがあります。ハの字スキーヤーには所詮無理。途中で板を外して「歩いて降りようか」と思った程でした。最上部ダイナミックコースのキング第4リフト(右下写真)には、最後まで乗る勇気は湧いてきませんでした。
*)道外:北海道では本州・四国・九州のことを「内地」と言う。
自分のことは分からない
スキーを始めて8~9年目。足前はパラレル。そう言いたいのですが、実のところはバラレル(*)。この頃より誰の誘いも受けず、また誰も誘わず一人でスキーに出かける様になりました。北海道でのスキー場はニセコ・ヒラフ(現グラン・ヒラフ)、定宿はロッジ浦中。オーナーの浦中直行氏(通称直さん)とも顔なじみとなりました。そのオーナーが検定を受けてみないかと勧めてくれました。
SAJ2級バッジ検定です。福岡からの人など、かなりの人が道外からで10名位受験しました。午前は事前講習。私には他の人のレベルが次の様に見えました。1人が私より「ややヘタ」、その他は「かなりヘタ」。記憶が定かではないのですが、4~5人が合格したと思います。予想では私は最高点で合格。しかし、「ややヘタ」と思えた人が最高点で私は2番目の成績でした。
当時のスキー雑誌(スキージャーナル)の読者投稿欄に次のようなことが載っていました。「自分から見た相手のスキーレベル→相手の実際のレベル」を比較すると…。「自分と同じ位→相手はかなり上」「少しヘタ→少し上」「ヘタ→同じ位」「かなりヘタ→ややヘタ」。実に、この通りでした。
現在、レーシングチームで練習をしています。コーチが撮ったビデオや写真には、私の見るに堪えない映像が残されています。もう少しはマトモに滑っているつもりなのですが…。実際とのギャップに驚かされ、しょげ返ってしまいます。
上のレベルに行く程、このギャップは縮まっていくのでしょう。冷静に自分の滑りが分かるように早くなりたいものです。
*)バラレル:自称パラレル。整地された中・緩斜面など、条件のよいところでは板が平行になる。しかし、急斜面や荒れた斜面、ショートターンでは馬脚を露わし、板がバラバラ(ハの字、バラレル)になる。
初めてのポール
その翌年。直行氏が「ポールを滑ってみないか」と勧めてくれました。2006年トリノ・オリンピックの大回転に出場し、24位になった吉岡大輔選手がジュニア時代に所属していたチームがあります。コーチは彼のお父さん。直行氏がコーチに電話で頼んでくれたのです。モイワスキー場(現、モイワスキーリゾート)でのGS(大回転)のナイター練習です。
ポールが立てられたコースは、フリー(*)なら私でも気持ちよく滑ることのできる中・緩斜面です。パッと目では、ポールの間隔も広く、それほど横に振っていません。ジュニアは皆上手に滑っていきます。「こんなの簡単!」 とスタートしました。
「アレ? こんなはずでは!」 しかし、いざスタートすると見事なくらい「下に落とされてしまう」のです。挙句の果てはコースアウト、そして転倒! 吉岡コーチから「大丈夫か?」と声をかけて頂きました。後になって知りました。ほとんどのポール初心者が犯すミス、「ポール向かって真っすぐに突っ込んでいく」ためでした。
また一つ、スキーの面白さを知りました。そして、これで本当にスキーに「はまってしまった」かもしれません。その後、私の参加するスキーキャンプはレーシング・キャンプとなってしまいました。
*)フリー:競技スキーではポールを使用せず(ポールを立てていないコースを)滑ることをフリースキーという。
カルチャーショック
その3~4年後。今度は直行氏が次女(瞳さんといいます)と一緒に滑ってみないかと勧めてくれました。例のジュニア・レーシングチームで鍛えており、中学2年になっていました。
エース第2クワッド(センターフォー)を降りた所にある白い恋人の温度計のある横からスタート、国体コース→アルペンコースのルートで滑ることになりました。ナイターのため、日中のスキーにより雪面はかなり荒れています。まず、スタート直後のコブとなっている急斜面を何とか滑り終えました。ところが、瞳さんはとっくに滑り終え下で私を待っています。その後の国体コース。彼女はまるで圧雪後のコースのように猛スピードで滑り終え、アルペンコースに移行する所で私を待っていました。
完全にギブアップ! そのことを彼女に告げ先に帰ってもらいました。意気消沈しながら一人トボトボと下まで滑り降りロッジ浦中まで帰ったものです。2本目を滑る気にもなれなかったのです。
雪国で育ち小さい頃より本格的にスキーをしていると、たとえジュニアといえども私より上手いことが分かりました。まして、中学生ともなると全く歯が立ちません。「30半ばで始めたスキー。こんなもん!」 いい意味での開き直りもできました。
素晴らしきニセコ
モイワスキー場(モイワスキーリゾート)
現在、私はRIレーシングという社会人のレーシングチームに属しています。ホームゲレンデはモイワスキー場(現モイワスキーリゾート)。くしくも、私がポールを初体験したところです。ニセコ・アンヌプリの隣、モイワ山麓のスキー場で、ニセコユナイテッドの花園エリアから見るとほぼ180度反対側の位置にあるマイナーなスキー場です。
以前は、地元のジュニアや我がチームをはじめとしたレーシングチーム位しか滑る人はいませんでした。近年、ニセコの開発が進むにつれ海外でもパウダースノーで有名となり、多くの方が「新雪」を求めて集まってくるようになりました。その結果、雪の降った翌日の駐車場はすぐ一杯になってしまいます。昼食時の食堂の半分以上は外国の方です。ただし、彼らは我々のポールバーンには入ってきません。目的が違うからでしょう。うまく棲み分けができているようです。
“ニセコ” 我がルーツに感謝、そして乾杯!
スキーに興味のある方は、ぜひ↓のHPもご覧ください。
RIレーシングのホームページ → http://www.ri-racing.net/
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